薩藩海軍史に収録された第2回パリ万博を終えて帰国する際の様子を記録した内容の現代語訳を本ページでご紹介します。
原文掲載の扱いは著作権上の扱いが不明なため国立国会図書館等でご閲覧ください。
参考:http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000943441-00
帰国した人物について
航海日記は岩下方平によって記された物で、市来政清、岩下方美、シャルル・ド・モンブラン伯爵(以下、モンブラン伯爵)と共に帰国しています。(岩下方美の妻は市来寿恵子という人物(詳細不明)ですが、当時の薩摩藩士同士の婚姻関係は近いもの同士でしたので岩下と市来は親族といった間柄だったのかもしれません。)
不思議な事に航海日記にモンブラン伯爵についてはほとんど触れられてません。これはマルセイユ出発前から薩摩藩英国留学生5名からモンブラン伯爵の薩摩への同行に関して反対意見が上っており、悩みだった事も関係していると言われています。
英国留学生5名は下記の通り:
- 永井五百助(吉田清成)
- 野田仲平(鮫島尚信)
- 澤井鉄馬(森有礼)
- 松村淳蔵(市来和彦)
- 杉浦弘蔵(畠山義成)
この英国留学生反対についても著作権の都合上転載できませんが、Amazon等で外国交際 遠い崖5 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-5)をご購入いただきご覧ください。
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航海日記現代語訳
概要
慶応3年(1867年)7月29日。空晴れたり。午の時ばかり仏蘭西「まるせい」という湊より船に乗る。
8月2日成の時ばかりに「まるた」という所へ着きぬ。◯6日まださに何がしかというに着きたり。直ちに蒸気車とかいう物に乗る。こはあやしく早き物にて。1日に千里も行き帰りすべし。
9月11日香港着。
「言の葉はまだ通はねど今日はまづ文字の同じき国に来たけり(方美)」
「この里は都の風や通ふらん 木の葉。色づく空きは来にけり(方平)」
9月22日帰着。